醤油1本でアメリカの食卓を変えた──キッコーマン・茂木友三郎、ウィスコンシン州50年の地道

未分類

1957年、サンフランシスコの倉庫の片隅から

1957年(昭和32年)、キッコーマンは米国カリフォルニア州サンフランシスコに「キッコーマン・インターナショナル」を設立します。当時のキッコーマンの輸出担当者たちは、現地の倉庫を間借りし、まず日本人街・チャイナタウン向けの輸入販売からスタートしました。

当時、米国における醤油の認知度は、日系人コミュニティの一部に留まり、一般のアメリカ家庭で醤油を使う人はほぼ皆無でした。当時の米国スーパーマーケットの調味料売り場には、ケチャップ、マスタード、マヨネーズ、バーベキューソースは並んでも、醤油は存在しなかったのです。

「日本の調味料を、アメリカ人の食卓に乗せる」

これは当時のキッコーマンが掲げた、極めて壮大な目標でした。なぜなら、アメリカは元来「ステーキとマッシュドポテト」の文化。発酵食品である醤油の独特の香りは、一般のアメリカ人にとって馴染みのないものでした。(出典:キッコーマン国際食文化研究センター「キッコーマンとアメリカ」)

1973年、ウィスコンシン州ウォルワース──現地生産という覚悟

本格的な転機は、輸入販売開始から16年後の1973年に訪れます。キッコーマンは、米国五大湖近くのウィスコンシン州ウォルワースに、米国初の海外醤油工場を建設したのです。

当時の責任者は、後に社長・会長を務める茂木友三郎。米国コロンビア大学経営大学院(MBA)出身の経営者で、計画段階から現地に深く関与していました。茂木友三郎は1961年に日本人として初めてコロンビア大学のMBAを取得した、日本企業のグローバル経営者の先駆者の一人です。当時、米国MBAを持つ日本人経営者はほぼ皆無で、彼の英語力・米国人脈・グローバル感覚は、キッコーマンの海外展開の最大の武器でした。

輸出ではなく、現地生産。これは当時の日本食品メーカーとして極めて異例の意思決定です。茂木は、こう判断したと伝えられています。

「アメリカで売るなら、アメリカで作るべきだ。アメリカで作って、アメリカで雇用を生んで、アメリカの食文化に溶け込まなければ、本物のアメリカ製品にはならない」

これは単なる事業戦略を超えた、文化的な覚悟でした。「メイド・イン・ジャパンを輸出する」のではなく、「メイド・イン・アメリカの醤油を作る」という発想転換は、当時の日本企業にはほぼ存在しなかった視点です。(出典:ビジネス+IT「キッコーマン・茂木友三郎」インタビュー)

地元コミュニティとの対話──一軒ずつ訪問する

ウィスコンシン州ウォルワースの建設計画は、容易には進みませんでした。建設予定地は、代々酪農を営む地元住民の土地に隣接しており、未知の発酵食品の工場が来ることへの不安と懸念の声が、地元から相次いだのです。匂いはどうなのか、水質への影響はないのか、地下水は大丈夫か──地元の新聞には進出に懸念を示す意見も掲載され、住民集会が何度も開かれたとされます。

茂木友三郎はこのとき、極めて地道な行動に出ます。地元住民の家を、一軒ずつ訪問したのです。

  • キッコーマンとは何の会社か
  • 醤油とはどんな食品か
  • 工場の排水処理はどうするか
  • 地元の雇用はどれくらい生むか
  • 地下水・空気・騒音への影響は

これらを、通訳と地元弁護士を伴って、農家の居間で何時間も話し合いました。茂木自身は英語を話せる経営者でしたが、それでも、現地住民と一軒ずつ対話するのは、想像を絶する労力だったはずです。茂木は地元の住民集会にも積極的に出席し、すべての質問に直接答えました。「煮詰めた大豆と小麦と塩の自然な発酵食品で、化学的な汚染物質は出ない」「醤油の匂いはお醤油そのものの匂いで、隣の家のキッチンから出るものと変わらない」──こうした地道な説明を繰り返したのです。

1年以上に及ぶ対話の末、地元コミュニティはキッコーマンの工場建設を最終的に承認します。この合意形成プロセス自体が、後に米国のビジネススクールで「異文化マネジメントの成功事例」として研究されることになりました。(出典:キッコーマン国際食文化研究センター、ビジネス+IT)

稼働2年目で単年度黒字、4年目で累積赤字解消

1973年6月、ウィスコンシン工場が稼働開始。当初は、現地のアメリカ人作業員に発酵食品の品質管理を教えるところから始まり、初期は赤字続きでした。

しかし、結果としてキッコーマンのウィスコンシン工場は、稼働2年目で単年度黒字を達成。4年目には累積赤字を解消するという、当時の海外進出案件としては異例のスピードで黒字化を果たしました。

1. 現地調達・現地雇用への徹底したこだわり

大豆・小麦などの原料を、可能な限り米国産で調達。労働力もウィスコンシン州の地元住民をほぼ100%採用。これにより、地元コミュニティが「自分たちの工場」と感じる体制を作りました。原料の米国産大豆は、ウィスコンシン州近郊の農家から直接買い付けることで、農家との関係も深まっていきました。

2. アメリカ人の味覚に合わせた商品開発

醤油そのものは日本と同じレシピですが、アメリカ向けには「テリヤキソース」「ステーキソース」など、現地の料理に直接使える派生商品を次々と開発。「醤油は日本料理に使うもの」ではなく、「アメリカの普通の料理を美味しくする調味料」というポジショニングを確立しました。テリヤキソースは、醤油・砂糖・みりんなどをブレンドした「すでに調味済み」の製品で、アメリカ人の家庭がそのままチキンやステーキにかけて使える設計です。

3. レシピ提案による需要創造

キッコーマンは、現地のスーパーマーケットやテレビ料理番組と組み、「アメリカの家庭料理に醤油を使うレシピ」を継続的に発信。チキンの照り焼き、ハンバーガーへの醤油ベースソース、サラダドレッシング──醤油の使い方そのものを、アメリカに紹介していったのです。「商品を売る」のではなく「使い方を伝える」アプローチで、長期的に大きな効果を生みました。

「テリヤキ」「スシ」が世界語になるまで

キッコーマンのウィスコンシン工場稼働から数十年。いま、米国のほぼすべてのスーパーマーケットの調味料売り場に、キッコーマン醤油が並んでいます。「Teriyaki」「Sushi」「Sashimi」「Umami」といった日本語は、英語の辞書に載る一般単語になりました。

特に「Teriyaki」は、米国における日本食の代名詞として完全に定着し、米国全土のレストランのメニュー、家庭料理のレシピサイト、冷凍食品の商品名に登場します。米国の大手ファストフードチェーンが「テリヤキバーガー」「テリヤキチキン」を定番メニューに加える時代となり、テリヤキはもはやアメリカ食文化の一部です。

キッコーマン1社がこれを達成したわけではありませんが、市場の入口を半世紀かけて開き続けてきた功績は明確です。後発の日本食ブランド、そして寿司・ラーメンなどの日本食レストランが米国市場で受け入れられた背景には、キッコーマンが切り拓いた土壌があったのです。(出典:ビジネス+IT、キッコーマン国際食文化研究センター)

地道さこそが、最強の輸出戦略

茂木友三郎が貫いた経営哲学は、極めてシンプルです。

「現地化とは、現地の人と同じ視線に立つこと」

派手な広告キャンペーンでも、急激なM&Aでもなく、地元住民の家を一軒ずつ訪問し、地元雇用を増やし、地元の食卓に少しずつ入り込む──この「地道」を50年続けたことが、キッコーマンを北米最大級の醤油メーカーに育てました。

2024年、キッコーマンの売上高に占める海外比率は約75%。日本本社の売上を、海外事業が大きく上回る構造です。茂木友三郎は社長退任後も会長・名誉会長として後進を育てつつ、日本経団連の副会長や経済同友会代表幹事を歴任し、日本のグローバル経営者の代表的存在となりました。

製造業の海外展開とは何か

キッコーマンの物語が、製造業に身を置く20代・30代に伝えることは多くあります。

  • 海外で売るには、海外で作る覚悟が要る
  • 現地コミュニティとの対話は、一軒ずつ、長い時間をかけて
  • 「自国の文化を押し付ける」のではなく「現地の文化に溶け込む」発想
  • 50年単位で考える経営、四半期決算で測れない価値

キッコーマンが取った道は、半世紀かけて1つの市場に深く根を張る道でした。結果として、彼らの醤油は、いま米国の家庭の台所に、当たり前の調味料として置かれています。「日本の調味料」ではなく「アメリカの調味料」として。これこそ、本物の「現地化」だと言えるのではないでしょうか。

「日本の調味料」から「世界の調味料」へ

キッコーマンが他社と違ったのは、最初から「アメリカ人の家庭の食卓に乗ること」をゴールに据えていた点です。日系コミュニティ向けの売上は、長期的な目標から見ればごく一部にすぎないと考え、最初からアメリカの一般消費者をターゲットにした商品開発、販路開拓、レシピ提案を行いました。

この発想は、現代のグローバル製造業にも示唆を与えます。海外市場で本気で勝ちたいなら、「日本人駐在員と日系顧客」の心地よい繭の中に留まってはいけない。現地の言語、現地の文化、現地の食習慣、現地の価値観に深く入り込み、最終的に「現地の製品」として受け入れられるところまで行かなければならない。これは時間がかかる、地道で、孤独な作業です。

もう一つ、キッコーマンの興味深い点は、社員教育として若手社員にウィスコンシン工場研修を組み込んでいることです。海外勤務を「特別なエリートコース」ではなく「全員の通過儀礼」にすることで、グローバル感覚を組織全体に染み込ませているのです。

あなたが次に米国のスーパーマーケットでキッコーマンの醤油を見かけたら、その1本の裏側に、1957年のサンフランシスコ倉庫、1973年のウィスコンシン州での対話、半世紀の地道な積み重ねがあることを思い出してほしいと思います。製造業の本当の強さは、こうした「誰も見ていない場所での50年」の中にあるのです。


ものづくり業界でのキャリア相談はLINEから

製造業エンジニアのキャリアに迷ったら、業界知識を持つキャリアアドバイザーへ 無料で相談できます。求人紹介ではなく「まず話を聞いてもらう」ことから始められる窓口です。

LINE無料相談https://lin.ee/OTtazi6

運営:株式会社NATECT(建設業×製造業 人材紹介専門)

タイトルとURLをコピーしました